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萩原聖人と和久井映見に子供はいた?共演ドラマを調査!

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今では離婚してしまった萩原聖人さんと和久井映見さんに子供はいたのでしょうか?結婚に至った共演ドラマが何だったのかも気になりますね。現在はプロ雀士でもある萩原聖人さんと、別れた和久井映見さんに子供はいたのか、そして馴れ初めとなったドラマは何だったのかについて、調べてみました。

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萩原聖人と和久井映見に子供はいた?障害があるのか名前や学校を調べてみた!

(出典:https://mantan-web.jp)

萩原聖人さんと和久井映見さんが、元・夫婦だったことを知らない人も、若い世代を中心に多くなっているようですね。2人の間には、子供が1人います。1999年10月生まれで、名前を琉太(りゅうた)というそうです。和久井映見さんの子供には、障害があるのではないかとの噂があります。

1歳の頃に会ったことのある人は、障害があったとは言っていませんでした。1996年に和久井映見さんは、『ピュア』というドラマで、知的障害の役を演じています。和久井映見さん自身も、子供の頃にチック症という病気だったそうです。調べてみたのですが、子供に障害があると確認できるものはなく、和久井映見さんの役や子供の頃の病気が、和久井映見さんの子供の病気と間違われたのだろうと思われます。

障害によっては、外見的にはわからないものもあるので、一概に噂とは言い切れませんが、マスコミなどで報道されたこともなく、現実と役柄が一緒になってしまった噂の可能性が高いようですよ。

萩原聖人と和久井映見が結婚することになった共演ドラマは?馴れ初めと2003年の離婚原因を調査!

萩原聖人と和久井映見の馴れ初めと共演ドラマは?

馴れ初めとなるのは、1994年に放映されたドラマ『夏子の酒』で共演したことだと言われています。このドラマはリアリティ感を出すため、ドラマの撮影が本格的に始まるより1年も前に、主人公の夏子が、新潟県で酒米に使う稲を実際に育て始めるところから、撮影は始められたそうです。

和久井映見さんの役は、この主人公の夏子。これが初主演のドラマになります。東京の広告代理店に勤務していましたが、幻の酒米「龍錦(たつにしき)」を使った日本一の酒を造ろうとしていた兄が志半ばで病に倒れたため、兄の夢を引き継ごうと実家に戻り、様々な試練を乗り越えながら酒造りをする物語です。

萩原聖人さんは、その造り酒屋の従業員という役どころでした。「付き合い初めてすぐに、お互いの心の中で結婚を意識した」のだそうですよ。ドラマで恋人関係を演じると、本当に付き合ってしまうパターンは多いそうですね。けれど、撮影が終わるのとあわせて、関係も終わることが多いのだとか。

結婚発表が電撃的だった

和久井映見さんと萩原聖人さんは、萩原聖人さんが無実の罪で訴訟を起こされたこともあり、撮影が終了しても交際は続きました。1995年11月7日に『夏子の酒』を制作したフジテレビのワイドショーで、電撃結婚発表をします。2人揃っての記者会見もありました。極秘だったので、萩原聖人さんのお爺さんも、結婚のことを知ったのは前日だったそうです。

電撃結婚は、電撃的だったので新居の準備もされておらず、別居からスタートの通い婚だったそうです。挙式も新婚旅行もなしだったので、「婚姻届1枚では味気ない」と、翌8日に都内の焼き肉レストランで『夏子の酒』で共演した中井貴一さんらが2人に内緒で“結婚式”がわりのパーティーをプレゼントしたそうですよ。

離婚の原因

裁判が結審した翌1999年10月には、待望の長男が誕生します。2000年12月には、萩原聖人さんは、突発性難聴で仕事を降板。2001年には新居となる億ションを、品川に購入するなど生活は落ち着いたようにも思われました。裁判の影響で、萩原聖人さんの仕事は激減します。ギャンブル好きだったので、仕事が減ったぶん、麻雀の時間が長くなり、徹夜麻雀をし、帰宅しないで雀荘に泊まり込むこともあったそうです。

風俗通いが写真誌に撮られたこともあります。「男が遊ぶのは芸の肥やし」と、萩原聖人さんは考えるタイプ。潔癖な性格の和久井映見さんは我慢ができなかったと言われています。離婚は時間の問題だったのかもしれませんね。ただ、実は和久井映見さん側にも愛想を尽かされる理由があり、驚く事に結婚期間中に一切の家事を放棄していたそうです。

テレビで見る和久井さんのイメージはピュアで家庭的ですが、家事をしていなかったというのは、本当ならかなりショックですよね!

萩原聖人は和久井映見との結婚生活に問題を抱えていた?

和久井映見さんは結婚しても、仕事は引く手数多でした。『ピュア』『バージンロード』『 二十六夜参り』『殴る女』と、主演が立て続け。視聴率も好感度も高く、出産後も『Friends』『世界で一番熱い夏』と、連続ドラマをこなしました。一方の萩原聖人さんは裁判の影響もあってか、積極的に仕事をしてはいるようですが、連続ドラマのゲストや、単発ドラマばかりが目だちます。

夫婦間の収入格差が、問題だったのでしょうか。夫婦間格差を忘れるために、萩原聖人さんは麻雀にのめり込んだのでしょうか。萩原聖人さんのギャンブル好きがエスカレートしていくのもこの時期です。裁判で仕事が激減している1995年に「第6回麻雀最強戦各界雀豪大会」に出場し優勝しています。

1999年には「New Wave Cup」で優勝。本業は何かと言いたくなるでしょう。2001年頃には、「第5回モンド21杯」で優勝します。麻雀がプロ級の腕前でも、父親としてはどうなのでしょう。連日、徹夜麻雀をし雀荘に寝泊まりしているとの噂もありました。会っていたというアリバイの彼女との関係も許し、裁判中支えになり続けた和久井映見さんにしてみれば、我慢の限界だったのかもしれませんね。

萩原聖人の元妻・和久井映見は竹野内豊と再婚した?若い頃の超絶可愛い画像を紹介!

(出典:https://www.pinterest.jp)

和久井映見さんは16歳の時、東京ディズニーランドへ遊びに行き、スカウトされたそうです。当時の写真を見ると、スカウトされるのも納得の可愛さ。スカウトした人がプライベートであっても、アトラクションに並んでいる人たちの中に、こんなに可愛い子を見つけたら、スカウトせずにはいられなかったでしょうね。

そんなデビュー当時から笑顔が可愛い和久井映見さんが、2012年に出演したドラマが『もう一度、君にプロポーズ』です。この時は、和久井映見さんは竹野内豊さんの妻を演じていました。2人は2009年〜2010年に放映されたドラマ『不毛地帯』にも出演していました。この2人が結婚間近だとか、噂が流れているんですね。

ドラマがお似合いだったので、付き合っていてほしいという願望が、噂になったようです。和久井映見さんの息子さんが、この報道にショックを受けてしまったと言ったエピソードもつくと、真実味が増しますね。竹野内豊さんはこのドラマがきっかけで、和久井映見さんではなく倉科カナさんとお付き合いしていることを、事務所を通して認めました。

竹野内豊さんが、交際報道を認めたのは倉科カナさんだけです。竹野内豊さんと和久井映見さんの大人の恋愛も、ちょっとステキで見てみたい気もしますね。

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萩原聖人の元妻・和久井映見の生い立ちや悲しい過去とは?プロフィールと名女優へと成長した代表作まとめ!

和久井映見プロフィール

(出典:https://my-trendy-news.blog.so-net.ne.jp)

和久井 映見(わくい えみ)
本名 : 和久井 良子(わくい りょうこ)
1970年12月8日生まれ
神奈川県横浜市出身
身長 : 158cm
血液型 : A型
埼玉県立川口青陵高等学校卒業
所属事務所 : 藤賀事務所を経て、アルファーエージェンシー所属

1988年4月 ドラマ『花のあすか組!』でデビュー
1995年11月 萩原聖人さんと結婚
1999年10月 長男出産
2003年7月 離婚

代表作
*テレビドラマ
『愛しあってるかい!』(1989年)
『赤頭巾快刀乱麻』(1991年)
『夏子の酒』(1994年)
『妹よ』(1994年)
『ピュア』(1996年)
『バージンロード』(1997年)
『殴る女』(1998年)
『First Love』(2002年)
『大河ドラマ 武蔵 MUSASHI』(2003年)
『9・11 NYテロ真実の物語』(2004年)
『最後の忠臣蔵』(2004年)
『華岡青洲の妻』(2005年)
『大河ドラマ 功名が辻』(2006年)
『白虎隊』(2007年)
『必殺仕事人』(2007年)
『連続テレビ小説 ちりとてちん』(2007年)
『不毛地帯』(2009年)
『大河ドラマ 平清盛』(2012年)
『もう一度君に、プロポーズ』(2012年)
『天皇の料理番』(2015年)
『連続テレビ小説 ひよっこ』(2017年)
*映画
『ぼくと、ぼくらの夏』(1990年)
『就職戦線異状なし』(1991年)
『息子』(1991年)
『エンジェル 僕の歌は君の歌』(1992年)
『虹の橋』(1993年)
『バースデイプレゼント』(1995年)
『丹下左膳 百万両の壺』(2004年)
『日本沈没』(2006年)
『大奥』(2010年)
『プリンセス・トヨトミ』(2011年)
『アゲイン 28年目の甲子園』(2015年)
『LAST COP THE MOVIE』(2017年)
*舞台
『ホロヴィッツとの対話』(2013年)
*おもな受賞
日本アカデミー賞 : 最優秀助演女優賞/新人俳優賞『息子』(1991年)
日本アカデミー賞 : 最優秀主演女優賞『虹の橋』(1993年)
キネマ旬報賞 : 助演女優賞『息子』『就職戦線異状なし』(1991年)
日刊スポーツ映画大賞 : 助演女優賞『息子』『就職戦線異状なし』(1991年)
山路ふみ子映画賞 : 女優賞『虹の橋』(1993年)
ギャラクシー賞 : 個人賞(テレビ部門)『9・11』『最後の忠臣蔵』『華岡青洲の妻』(2004年)
橋田賞『9・11』(2005年)
国際ドラマフェスティバル:東京ドラマアウォード
助演女優賞 『ちりとてちん』(2008年)

和久井映見の生い立ち

芸能界にデビュー以来、時代劇から現代、主役から脇役までこなす女優に成長した和久井映見さんですが、生い立ちは決して幸せなものではありませんでした。和久井映見さんが幼い頃に、両親は離婚します。お母さんは和久井映見さんと妹の姉妹2人を、女手一つで育てていくことになりました。

養育費などは貰っていなかったらしく、極貧生活だったそうです。お母さんは寮で食事を準備する仕事をしていたので、姉妹で祖母に預けられた時もあったそうです。祖母の家に一時期同居していた叔父に、暴力を振るわれたと言われていますが、真相は違うようですよ。しばらくして、お母さんはが再婚されました。

義父の暴力

ところが新しい義父さんと和久井映見さんの仲が、うまくいかず、義父さんから度々、暴力を振るわれたんだそうです。逃げ場もなく、精神的に追い詰められたストレスから、チック症を発症します。改善するには、症状を気にしないことが大切なんだそうです。和久井映見さんの場合も、成長するにつれ症状はみられなくなったそうですが、それにはかなり時間がかかったようです。

いつも心が休まらず、自分の居場所がないと感じていたそうですから、改善してよかったですね。和久井映見さんは芸能界に入り「やっと自分の居場所が見つかった」と思ったんだそうです。和久井映見さんの可愛らしい笑顔と包容力の裏に、辛いエピソードがあったのは驚きですね。

萩原聖人の元妻・和久井映見が1人息子の親権を持った?朝ドラ出演で人気再燃!

離婚への経緯は?

和久井映見さんは2003年に離婚する際、子供の親権は渡しませんでした。結婚する以前から、萩原聖人さんの酒癖とギャンブル好きは有名だったそうです。ですから、電撃結婚を発表した時に、和久井映見さんを心配する声もありました。案の定、萩原聖人さんはギャンブルにのめり込み、2001年頃に和久井映見さんは子供を連れ実家に帰ったと言われています。

萩原聖人さんは和久井映見さんを迎えに行かず、謝罪もしなかったそうです。それでも子供の親権争いをしたという話もあります。萩原聖人さんは子供との面会を何度も申し入れましたが、和久井映見さんは会わせようとしなかったという証言もあります。和久井映見さんとの別居中に、部屋に若い女性が出入りしていたと、萩原聖人さんにはマイナス報道もありました。

親権も和久井映見さんが取ることで決着し、2003年7月4日に離婚報告のファクスがマスコミ各社に送られました。ただ親権だけでなく、離婚後の子供との面会がどうなったのかは不明です。和久井映見さんが家事をしないから離婚になったなどの報道もあったようですが、和久井映見さんをかばう声が多くなり、逆効果になったようです。

“お母さんにしたい女優”で人気が再燃

そんな苦労もあった和久井映見さんですが、NHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』の愛子役で出演します。おっちょこちょいで抜けているのに、いざという時には大きな心で人を包み込む愛子は、和久井映見さん本人とも重なりますね。愛らしさと包容力は、さすが“お嫁さんにしたい女優”です。

かつての人気を知らない年代にも、40歳を過ぎているとは思えない純粋な可愛さから、“お母さんにしたい女優”として、人気が再燃しているのだとか。ファンだった男性からは、「独身だったの?」という声もあがっています。再ブレイクがあるかもしれませんね。

萩原聖人逮捕の過去の真相は無実だった?

萩原聖人の起こした事件とは?

事件は1993年12月27日に起こりました。場所は神奈川県大和市にある、中央林間駅前です。被害者男性が友人と待ち合わせのため、車に乗って待っていたところ、4人の男性が突然、「金は払うから、町田まで乗せてくれ」と言ってきたのだそうです。被害者男性は、友人と待ち合わせ中だったので断りました。

する4人は激怒し、その中の1人が被害者男性を暴行したというのです。この犯人を被害者男性は萩原聖人さんだと証言し、裁判を起こしたのでした。萩原聖人さん側は、この事件について全面的に容疑を否認。当日のアリバイがあることを理由に、犯人とは別人であると主張したのです。

萩原聖人さんは都内の友人の家にいたと証言していました。けれどその友人が誰なのか、証言を頑なに拒否したのです。「相手は一般人なので、迷惑がかかってしまうため絶対に言えない」拒否されると、余計に気になります。結局、会っていた相手は女性だと判明します。1995年11月に和久井映見さんと結婚した萩原聖人さんは、裁判について「和久井映見に出会う前の話で、二股してたわけじゃない」と発言しているのだとか。

萩原聖人は冤罪だった

事件のあった2週間後には、和久井映見さんと共演している『夏子の酒』の放映が始まっているのだから、出会う前というのは疑問が残りますね。この裁判中に結婚した和久井映見さんは、誰と会っていたかは知っているのでしょうね。会っていた人が誰かを言わないことで、アリバイが立証されず、暴行事件の裁判は1997年4月、1審で萩原さん敗訴の判決が出ました。

もちろん控訴し、1998年7月に逆転勝訴します。被害者男性は、萩原さんを犯人と断定した理由が“似ていた”というだけだったことと、現場となった中央林間駅前は事件当時は暗く、相手の顔を視認するのが難しいことが立証されたためなのだそうです。判決後の記者会見で「妻と涙を流して抱き合いました。そばに人がいるって、こんなに大事なんだと感じました」と萩原聖人さんはコメントしています。

映見さんもストレスから、仕事にも集中できず、かなり苦労したと言われています。勝訴はしても、萩原聖人さんはこの騒動が原因で、仕事が激減してしまいました。和久井映見さんが支えたのでしょうが、その後に2人が離婚することを考えると、何らかの障害があるほうが絆は強くなるというのは本当かもしれませんね。

萩原聖人プロフィールとその後の現在は?

萩原聖人プロフィール

(出典:http://www.tvguide.or.jp)

では、萩原聖人さんのプロフィールを見ていきましょう。

萩原 聖人(はぎわら まさと)
1971年8月21日生まれ
神奈川県茅ヶ崎市出身
身長 : 175cm
茅ヶ崎市立梅田中学校卒業
東京都立戸山高等学校定時制中退
所属事務所 : アルファエージェンシー
1987年 ドラマ『あぶない刑事』第32話「迷路」にて、置き引き少年役でデビュー
おもな作品
*テレビドラマ
『夏子の酒』(1994年)
『若者のすべて』(1994年)
映画
『教祖誕生』(1993年)
『学校』(1993年)
『月はどっちに出ている』(1993年)
『マークスの山』(1995年)
『CURE』(1997年)
*おもな舞台
舞台
『花園ラビリンス』(1987年)
『丘の上のハムレットの馬鹿』(1988年)
『爆走ピエロ 〜 森のなかの浅草』(1990年)
『ピッチフォーク・ディズニー』(2002年)
『さぶ』(2003年)
『夜叉ヶ池』(2004年)
『人情喜劇 火焔太鼓 〜お殿様一生一度の恋患い〜』(2005年)
『ナイロン100℃ 30th SESSION “犬は鎖につなぐべからず 〜岸田國士一幕劇コレクション〜”』(2007年)
『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(2007年)
『夜光ホテル』(2008年)
『凡骨タウン』(2010年)
『ナイロン100℃ 38th SESSION“百年の秘密”』(2012年)
『ART』(2013年)
『魔術』(2016年)
『死神の精度-7Days Judgement 』(2018年)
*おもな受賞
日本アカデミー賞 : 優秀助演男優賞『マークスの山』(1996年)、『CURE』(1998年)
ブルーリボン賞 : 助演男優賞『マークスの山』(1995年)
高崎映画祭 : 最優秀助演男優賞『CURE』(1998年)
ヨコハマ映画祭 : 最優秀助演男優賞『月はどっちに出ている』(1994年)

萩原聖人の生い立ち

3歳の時に両親が離婚しお父さんに引き取られますが、小学4年生の時にお父さんが亡くなります。中学を卒業するまで、茅ヶ崎で父方の祖父母に育てられました。中学を卒業後に上京。東京都立戸山高等学校定時制に入学しますが、一週間で中退。新宿でお母さんが経営するバーを手伝っていたときに、スカウトされます。

1993年に暴行事件の容疑者に似ていたとして訴えられ、仕事に影響が出ます。
1995年11月 和久井映見さんと結婚
1999年10月 長男誕生
2000年12月 突発性難聴のため、仕事を降板
2001年頃 別居
2003年7月 離婚

麻雀での実績が凄い

役者としては、舞台や単発ドラマなどが主になっていますが、一方で離婚原因ともなった麻雀での実績が積まれていきます。「萩原リーグ」という自らが主催する麻雀リーグを都内の雀荘で開催し、トッププロ達と戦い、麻雀を題材にしたテレビアニメ『闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜』(2005年)では、主人公の「アカギ」こと赤木しげるの声を担当する一方、麻雀大会などにも参加しています。

1995年『第6回麻雀最強戦各界雀豪大会』優勝
1999年『New Wave Cup』優勝
2001年 モンド21麻雀プロリーグ 『第5回モンド21杯』優勝
2009年『第一回東風王決定戦』優勝
2010年『第5期最高位戦Classic』招待選手として参加
2013年 ニコニコ生放送『麻雀の鉄人 四神降臨外伝』出演
2014年 『日刊スポーツ杯スリアロトーナメント』出場 (前期 : 予選敗退 後期 : 優勝)
2014年 『麻雀最強戦』参戦 : 『著名人代表決定戦・風神編』優勝
2015年 フジテレビ『芸能界麻雀最強位決定戦“THEわれめDEポン”』出演
2018年2月よりAbemaTV麻雀チャンネル『RTDマンスリーリーグ』出場(black divisionに配属)

そしてついに、2018年7月21日には、日本プロ麻雀連盟に加盟し、萩原聖人さんは正式にプロ雀士となりました。2018年8月7日に行われたドラフト会議において、電通“TEAM RAIDEN”に1位指名されています。このことにより、10月より開始されるMリーグ(マージャンのナショナルプロリーグ)に、電通“TEAM RAIDEN”で参加する資格を獲得しました。

家庭を省みずに打ち込んだ麻雀なので、プロになれてよかったのかもしれませんね。役者というより、麻雀で活躍している萩原聖人さんですが、和久井映見さんとの関係はどうなっているのでしょう。2人とも、再婚はしていません。それどころか、所属事務所も同じです。なんだか、不思議な関係ですね。

和久井映見アラフィフ!脇役にシフトした女優たち・透明感の仲間由紀恵

(出典:https://dot.asahi.com)

デビュー当時は主演をこなす女優だった和久井映見さんも、最近は味のある落ち着いた名脇役でドラマや映画に引く手あまたの存在になっています。そんな和久井映見さんのように「いつの間にか上手に脇役へシフトチェンジしている」と思わせる女優について見ていきましょう。

仲間由紀恵さんは「ジョシデカ!」「トリック」などの主演作をもち、はじけるような透明感で勝負していましたね。もちろん現在も主演級として活躍しながらも、朝ドラや「相棒」などでは存在感あふれる脇役として絶妙なポジションをキープしています。離婚間近という噂もあったりして、プライベートでは苦労もしているはずなのにこの透明感なんて、まさに奇跡ですよね。

和久井映見アラフィフ!脇役にシフトした女優たち・悪女役多い相武紗季

(出典:https://eiga.com)

相武紗季さんの若い頃は「ミスタードーナツ」のCMなどで天使のようにカワイイと大人気でした。結婚後は可愛さプラス大人の女の色気とアンニュイさが増した魅力で、主人公を陥れる悪女役がはまる実力派女優へと成長しました。プライベートではグレーな噂も絶えないようですが、苦労が演技の幅を広げているのかもしれませんね。

和久井映見アラフィフ!脇役にシフトした女優たち・個性派の坂井真紀

(出典:https://talent.thetv.jp)

坂井真紀さんのデビュー当時は、今の高畑充希さんにも負けないほどのの清純派美女としてCMにも引っ張りだこでした。現在は個性派脇役に定着し、コメディだけでなくシリアスな作品でもしっかりと存在感を発揮しています。

萩原聖人と和久井映見に子供はいた?共演ドラマについてまとめ

今はそれぞれかなり違う道を歩んでいる萩原聖人さんと和久井映見さん。お互いに自分の人生を構築していってますので、離婚はそれはそれで良かったのかも知れませんね・・・

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