最近はテレビでもよく見る三浦瑠麗さんの、子供の頃や若い頃はどのような活動をしていたのでしょうか。また、夫である清志さんとの夫婦仲についても気になりますね!そこで今回は三浦瑠麗さんの子供の頃や若い頃についてと、清志さんと夫婦になった馴れ初めなどを調べてみました。
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三浦瑠麗の子供の頃や若い頃の出身小中学高校・大学院は?
三浦瑠麗の小学校時代
(出典:https://book.asahi.com/)
国際政治学者として活動している三浦瑠麗さんの子供の頃に卒業した小学校(1987年4月入学~1993年3月卒業)についての詳細は分かりませんが、神奈川県平塚市の『金旭中学校』の周辺地区に通っていたと考えられます。(『平塚市立金田小学校』『平塚市立松延小学校』『平塚市立金目小学校』辺りだと思われます。)
子供の頃、小学校時代の瑠麗さんは無類の読書好きで、よく図書館に入り浸っていたそうです(それが原因か定かではありませんが、子供の頃の視力は0.1しかなかったとの事です)。なかでも、「赤毛のアン」や「ナルニア国物語」等がお気に入りで、それらを読みながら登下校した程です。
三浦瑠麗の中学校時代
子供の頃の穏やかな小学校時代とは違い、『平塚市立金旭中学校』時代(1993年4月入学~1996年3月卒業)はイジメが酷かったうえ、下記に述べる“犯罪”にも巻き込まれた、とても辛い時期だった様です。当時は(1980年代からの)ツッパリ&スケ番の“余波”もあったのか、暴力も多く、瑠麗さんが所属していた陸上部でもイジメがあり逃げ場が無かったそうです。
ある日、陸上部顧問の先生が部内で瑠麗さんが一人のけ者にされている姿を見かねて、話合わせる事にしました。すると、他の部員学生達は“テスト点が悪かった事に対し、励ましてくれない”とか“男子からチヤホヤされてる”等、瑠麗さんへの不満ばかりを言って来たのに対し、瑠麗さんは何も言い返せなかったそうです。
三浦瑠麗の高校時代
良い思い出が無かった事もあり、高校は『学区外』の所を選びました。そして、『神奈川県立湘南高等学校・普通科』へ1996年4月に入学(1999年3月卒業)します。子供の頃の中学時代程ではありませんが、高校においても周囲とはあまり馴染めなかった様です(それまでの“イジメの経験”があり、同級生とどう接していいか分からなかったとの事です)。
それでも勉強や部活(陸上部)と、コツコツ努力を積み重ねた様です。また時には出席日数を計算し、単位を落とさない程度に授業をサボっては、江ノ島へ行く事もあったそうです。高校卒業後の1999年4月に、『東京大学・農学部』へ入学(2004年3月卒業)します。
三浦瑠麗の大学・大学院時代
若い頃の当時は、現在活動している分野とは対照的な理系を専攻していますが、東京大学は大きい分野からスタートし学年が上がるにつれて、細分化されるシステムになっています。したがって、入学時点で何を学ぶか直ぐに決める必要が無いメリットがあるとの事です。
これは大学から大学院へ進学する時も同じで、実際に若い頃の三浦瑠麗さんは2004年4月に『東京大学大学院・公共政策学教育部』(2006年3月卒業)、2006年4月には『東京大学大学院・法学政治学研究科』へ入学しています(2010年10月卒業)。(この間、まだ大学4年生だった若い頃の2003年3月に『学生結婚』をした事も、今後の人生に影響を与えた様です。)
同大学院の卒業論文は、『シビリアンの戦争 : 文民主導の軍事介入に関する一考察』(憲法九条改正・徴兵制の導入に関する肯定内容)でした。そして大学院を卒業する際、瑠麗さんは就職活動を行っていないそうです(面接で、ウソをつく様にアピールする事が嫌だったそうです)。
以降は大学の研究員・講師、またテレビのコメンテーターとしても活動している事はご存知の通りです。
三浦瑠麗の夫・清志は東大の先輩!夫婦2人の馴れ初めは?
三浦瑠麗の夫・清志はどんな人?
(出典:https://aikru.com/)
三浦瑠麗さんの夫は三浦清志さんで、日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれたハーフです。清志さんは若い頃、大学卒業後に外務省へ入省、2004年に『大臣官房総務課』の「外務省組織改変」を担当しています。2007年には、『マッキンゼー・アンド・カンパニー』のマネージャーに就任後、自らの会社である『セーフレイ・ジャパン株式会社』を設立します。
同社の代表取締役を務める傍ら、『Tribay Capital』という会社のマネージング・ディレクターも担当する等、多忙な日々を送っています。三浦瑠麗さん&夫・清志さんは共に若い頃、東京大学在学中の時に出会いました。瑠麗さんは『農学部』、清志さんは『教養学部』にそれぞれ所属していました。
馴れ初めは?
学部こそ違うものの、ある時、互いに違う学部の講義を受ける事になり、その時に夫婦となる“運命の出会い”を果たしたとの事です。瑠麗さんは“東京へ出て、厳しい生活を抜け出したい”理由で、(まだ学生だったにも関わらず)清志さんと結婚して夫婦となる事を決めたそうです。そして、2003年に二人は結婚します。
今とは違い、結婚当初の若い頃の三浦瑠麗さんは、家でテレビを観ながらジャンクフードを食べて過ごす生活を送っていた様です。しかしその後は、(『働かざる者、食うべからず』という清志さんの考えに感化された事もあり)『国際政治学者』として本格的に始動、キビキビとしたキャラクターへ転身しました。
それでも、時に清志さんは“(辛い時は)無理せずに休んでもいいよ”と、優しく声を掛けてくれるそうです。瑠麗さんは、清志さんと結婚して夫婦となった事について“後悔はなく、本当に良かった”と話しています。
三浦瑠麗の旦那・清志の華麗なる経歴!どんな人で結婚はいつ?
三浦瑠麗さんと夫婦となった清志さんは、先述のように華麗な経歴の持ち主で、今から16年前の2003年に結婚しているんですね。
三浦瑠麗の過去の生い立ちは性被害にあっていた?
三浦瑠麗は性被害にあっていた
三浦瑠麗さんは自叙伝「孤独の意味も、女であることの味わいも」(新潮社)にて十代の子供の頃に“性的被害”を受けた事を告白しています。それは瑠麗さんが中学3年生(当時14歳)の時、帰宅途中で起こりました。後方からバンに乗っていた数人の男達に声を掛けられました。
その後の事は、(瑠麗さん曰く)あまり覚えてなかったものの、“痛み”と“死ぬかもしれない”というあまりに生々しい感覚が残っていたとの事です。そして新幹線の高架下へ投げ出され、ふらつきながら帰宅、手と顔を洗いました(下腹部は痛みが痛みがあるうえ、出血していたそうです)。
誰にも相談できずに
瑠麗さんはこの事を警察はおろか、家族にも相談する事ができませんでした。この事件の犯人は数人の男達で、しかもそのうちの1人は“知っている顔”だったそうです。残念ながら、未だにこの犯人達は逮捕されていません。三浦瑠麗さんは自身の辛い体験を告白するまでの経緯を明かしています。
先ず瑠麗さんは、この自叙伝について“性的被害”について扱った本ではないとして、編集者の方からも“メディアで叩かれやすい三浦瑠麗さんが、どの様に生きる辛さを克服されたかを書いて欲しい”と頼まれたとの事です。瑠麗さんは“絶望を感じた時でも、自分や他人を愛せるか・人を信じる事ができるか・自身の存在に意味を見出せるか”等と、考えて来ました。
そして、“暴行事件は陰惨で許せないものだったが、その後の人生は痛みも伴う程に手応えがあった”と話しました。そのうえで“辛さの克服や愛の継承が必要ではないか”と、“(辛い目に遭った十代の時に)最後は幸せになれるよという“人生観”を伝えてくれる人がいてくれたら、もう少し変わっていたかも”と答えました。
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三浦瑠麗の子供の年齢名前や学校は?亡くした死因は切迫なのか調べてみた!
三浦瑠麗さんは2003年に結婚後、そして2012年に長女に恵まれます(現在は7歳くらいだと思われます)。娘さんの名前は非公開で通っている幼稚園や小学校についても詳細はありません。ただ、三浦瑠麗さんのSNSで娘さんの画像が公開(目元が隠された状態)されています。
この娘さんが生まれる前の2009年にも、瑠麗さんは妊娠をするものの、このお子さんは亡くなってしまいます。瑠麗さんが博士論文を書いている時、自身の妊娠が分かります。その後、引っ越しや新しい生活の準備をし、論文を何とか完成・提出します。息抜きも兼ねて近場での小旅行を行った直後、瑠麗さんは「切迫早産」、お子さんの「死産」を経験します。
瑠麗さん曰く“あれこれと頑張りすぎたかもしれない”と言いました。ドキュメンタリー番組「ボクらの時代」(2016年3月13日放送回・フジテレビ)出演時、『一番辛かった時期』について「最初の子供が亡くなった時」と話しました。親御さんにとって子供は“宝”であり、SNSで今の娘さんと写っている瑠麗さんは、とても嬉しそうな感じです。
(出典:https://honne-channel.com/)
三浦瑠麗の美しい美脚や可愛い衣装の写真を紹介!
三浦瑠麗さんには『美脚』『衣装が可愛い』といった評価が多くあります。そんな三浦瑠麗さんの画像を集めてみました。
(出典:https://bunshun.jp/)
(出典:http://nouvelles.jp/)
(出典:http://agora-web.jp/)
(出典:https://nobiciro.com/)
三浦瑠麗は上から目線の性格で性格悪いって本当?本が素晴らしく評判が良い!
三浦瑠麗さんは、松本人志さんの情報番組「ワイドナショー」や、他にも多くの報道番組やバラエティ番組で、美人コメンテーターとして活躍しています。しかし、その発するコメントがいつも上から目線で。性格も相当悪いのではと言われています。他の出演者が何か喋っている時にもに薄ら笑いを浮かべて、相手をよく批判しています。
そして、自分が正しいと言わんばかりのハキハキした口調で、それが視聴者にとっては『性格悪い』と映るようですね。ですが、先述の自叙伝「孤独の意味も、女であることの味わいも」(新潮社)はかなり評判が良く、尊敬する、抱きしめたいといった感想が多く寄せられています。
三浦瑠麗(美人学者)の家族構成や国籍・住所などWikiプロフィールは?朝生に胸が高鳴る!
三浦瑠麗プロフィール
(出典:https://www.iza.ne.jp/)
三浦瑠麗さんは1980年10月3日生まれ、幼少期まで神奈川県茅ヶ崎市で過ごし、その後同県平塚市へ移住します。2004年に『東京大学農学部』卒業後、『東京大学大学院・公共政策学教育部(公共政策大学院)専門修士課程』へ入学、2006年に同課程修了、「公共政策修士(専門職)」を取得します。
2010年に『東京大学大学院・法学政治学研究科総合法政専攻博士課程』を修了、「博士(法学)」を取得。その後は大学兼任講師や研究員を務める傍ら、2014年からは自身の視点で政治を解釈していくブログ『山猫日記』を開設や、多くの政治著書を出版しいます。
また近年は、討論番組「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)等をはじめ、多くの報道番組でコメンテーターとしても活動して、その美貌にも注目が集まっています。
家族構成は?
三浦瑠麗さんの家族は、父親・母親・兄・姉・弟・妹の7人家族で、5人兄弟の次女です。父親は濱村良久さんで、瑠麗さんと同じく東京大学と東京大学院を卒業、心理学者・『防衛大学・人間文化学科』教授として心理学を教えています。更に、瑠麗さんの両親も『学生結婚』で夫婦になったとの事ですが、母親について詳細はありません。
また、瑠麗さんの兄弟の兄と姉についても詳しく情報は無い様です。ただ、妹さんは、アメリカのシカゴへ留学経験がある様で、その後は金融庁に勤務している様です。また弟さんは東京大学で国際関係論を専攻していた様です。濱村良久さんは研究者になりたくてなった様で、お子さんに対して“進みたい道に進め”という教育を行ったそうです。
三浦瑠麗の子供の頃や若い頃は?夫・清志との夫婦仲についてまとめ
その麗しい外見と論客としての頭の切れとのギャップが最大の魅力ともいえる三浦瑠麗さん。今後も情報番組などでは欠かせない存在となっていくのでしょうね。さらなる活躍が楽しみです(^^)
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