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宮沢りえと貴乃花の婚約会見後がヤバかった?破局原因を究明!

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1992年に行われた、宮沢りえさんと貴乃花の婚約会見にはとんでもない結末が待ち受けていました。つまりは破局するのですが原因が驚きだったのです。当時社会現象にもなった宮沢りえさんと貴乃花の婚約会見、その後の破局の原因とは、どういうものだったのでしょうか。

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宮沢りえと貴乃花の婚約会見は約2カ月後がヤバかった?河野景子と円満結婚!

(出典:https://alcornavi.com)

貴乃花親方は父親が元大関の故・貴ノ花利彰さん、母親は女優の藤田紀子さんと、すごい両親の元で誕生しました。兄の若乃花(現在の花田虎上さん)とともに小さい頃から注目され、兄弟で相撲の世界へ入りました。素質も十分な2人は非常に話題になり、その活躍ぶりから「若貴フィーバー」を巻き起こしました。

そして貴乃花は、第65代横綱にまで上り詰め曙や武蔵丸らと名勝負を繰り広げました。そして人気絶頂の1992年に、こちらも当時大人気だった女優の宮沢りえさんと、突然の婚約会見を行ったのです。その婚約会見だけでも十分センセーショナルだったのですが、婚約会見からわずか2ヶ月後に、またもや突然婚約破棄、つまり破局を発表します。

結局、婚約会見そして破局発表から3年後の1995年に、貴乃花は元フジテレビアナウンサーの河野景子さんと結婚し、3人の子供に恵まれることとなります。現在、貴乃花親方の長男の花田優一さんは靴職人として活躍し、度々テレビにも出演していますね。

宮沢りえと貴乃花破局の原因真相を憶測?母親の存在が鍵を握るも壮絶な最期の死去!

(出典:https://matome.naver.jp)

ではなぜ、どのような原因で貴乃花と宮沢りえさんは婚約会見からわずか2カ月で、破局を迎えることとなったのでしょうか。その婚約破棄の真相原因は、宮沢りえさんの母親にあったそうなんです。当時は、破局原因に関して一切語られませんでした。貴乃花が婚約破棄の発表で「愛情がなくなった」と発言したことで、スポーツ紙は『ハタチのガキの恋愛』と書き立てました。

そのようなことがあった破局から22年の時が経ち、演歌歌手の美川憲一さんが、2人の破局原因を暴露したのです。というのも、宮沢りえさんの母親が美川憲一さんに、「結婚を辞めさせるよう説得してほしい」と頼んだようなんですね。そして宮沢りえさんの母親に頼まれた美川憲一さんは、2人に対して結婚を諦めるよう説得したんだとか。

2人は納得し、破局の発表となった訳です。宮沢りえさんの母親は、宮沢りえさんをどうしても女優にしたかったので、当時は結婚はさせたくなかったそうです。なぜなら貴乃花と結婚した宮沢りえさんは相撲部屋の女将にならないといけないので、女優を続けることができなくなるからです。

ですので宮沢りえさんの母親は、貴乃花との結婚は何としても阻止したかったのでしょう。当時の若い2人にとっては、本当に辛かったでしょうが、宮沢りえさんはその後、日本を代表する女優になりましたね。貴乃花親方も現在は、河野景子さんと幸せな家庭を築いています。この破局の選択が正しかったのかは誰もわからないところですが、現在の2人が幸せそうということは、これでよかったのかもしれません。

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宮沢りえさんの母親・光子さんは、当時『りえママ』と呼ばれ、常に宮沢りえさんの後ろから糸を操る存在でした。もともと保険の外交員の他、銀座のクラブでホステスをしていました。そしてクラブで知り合ったオランダ人の男性と関係を持ち、生まれたのが宮沢りえさんです。光子さんは両親にりえさんを預けて単身、オランダの夫家族を頼って出国します。

宮沢りえさんは、日本でタクシー運転手をする祖父の元で、いとこの男の子と一緒に兄妹の様に育ちました。そして光子さんは夫との家族との関係が劣悪になり、離婚して帰国します。その後りえさんを両親から引き取って、東京・練馬区のアパートに2人で暮らし始めました。

宮沢りえさんは幼少の頃から非常に可愛かったので、光子さんの知人がモデルになることをすすめて、芸能界入りさせたのです。光子さんはホステス時代の経験を生かして芸能界の幹部たちが通う店などに足繁く通い、芸能事務所でも非常に強い力を持っているプロダクションとも人脈を持ちました。

そして宮沢りえさんがブレイクしたあとは、独断で宮沢りえさんと供に独立し、プロデューサーとして宮沢りえさんを、大人気アイドルから女優へとのし上げていきました。ですから“話題づくり”に長けたりえママ・光子さんのプロデュースは、恋愛にまで及んだといいます。ですが光子さんは2014年に、肝臓がんで壮絶な最期を遂げました。

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宮沢りえの不倫相手で虜だったビートたけしがりえママ(毒親)を批判した理由は?

当時の宮沢りえさんは、ビートたけしさんとCMや映画で度々共演をしていました。この年齢も離れた、意外な組み合わせにはりえママが仕掛けた、話題性を狙った作戦だと世間も気付いていました。しかし、りえママは2人に「早く肉体関係を持て!」と急かしていたというのです。

しかしビートたけしさんは、当時すでに既婚者で子供もいました。肉体関係を持つということは、公然と不倫関係を勧めていたことになります。そして、ある撮影でビートたけしさんが宿泊していたホテルの部屋に、宮沢りえさんが「ママに言われてきた」とやってきたこともあったそうです。

驚いたビートたけしさんは、宮沢りえさんをそのまま帰したそうです。そして1991年、宮沢りえさんが17歳の時に出した、篠山紀信さんによるヘアヌード写真集『Santa Fe』(サンタフェ)は、150万部のベストセラーになり、人気絶頂のアイドルがヌードになるという前代未聞の出来事に、社会現象にまでなりました。

当時、ビートたけしさんは「娘をヌードにさせないのが親の務めなのに考えられない」と、りえアマを批判しました。

自分の都合で娘を日本に置き去りにしたり、また引き取ったりすることが平気でできるという。さらには宮沢りえさんに枕営業をやらせたり、ヘアヌード写真集を出させたりといった身勝手すぎる行動に、ビートたけしさんもバッシングをしたというのです。

宮沢りえの恋愛遍歴は?拒食症(摂食障害)から激やせ!

(出典:https://www.msn.com)

ビートたけしさんの後、宮沢りえさんは歌舞伎俳優の中村勘三郎(当時は勘九郞)さんと交際しますが、もちろんりえママプロデュースによる恋愛でした。宮沢りえさんは1994年に勘三郎さんと京都のホテルで不倫密会の上、自殺未遂騒動を起こします。その後、宮沢りえさんは拒食症などの心神耗弱状態に陥り、母娘の確執の中で長年過ごすことになります。

宮沢りえが大転落後に結婚した相手は無職の男?画像を探してみた!

2009年に宮沢りえさんは、元プロサーファーの実業家・中津ひろゆきさんと結婚しますが、実業家というのは表向きの顔でした。実際には無収入の無職の男だったのです。この時の結婚に光子さんは大反対し、当時住んでいたパリから日本に飛んできて、結婚を反対しにきたというほどです。

(出典:http://trendy-trendy.net)

ですが、もう母親の言いなりにはならないと、宮沢りえさんは結婚に踏み切りました。結局は2016年3月に離婚してしまうのですが、光子さんはその時にはもう亡くなっていました。

宮沢りえと森田剛の結婚にビートたけしの心配嘆きの声「なんで森田剛なんだ……」

2018年3月16日、宮沢りえさんと森田剛さんが結婚しました。宮沢りえさんの苦難の人生をみてきたビートたけしさんは、宮沢りえさんが森田剛さんを選んだことに「どうしてタトゥーがいくつもある疑惑の男に・・・」という思いはあるようです。母親に振り回されて壮絶な人生を送ってきた宮沢りえさんには、本当に幸せになってほしいという思いがあるようですね・・・

宮沢りえと貴乃花の婚約会見後がヤバかった?破局原因についてまとめ

母親の光子さんによる様々な原因や事情で、半生を振り回されて生きてきた宮沢りえさん。まさにスターの光と影を体現するような人生でしたが、これからは仕事も私生活も、穏やかに幸せを感じられるよう生きていってほしいものですね(^^)

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